「…ん」
四肢にどことなく違和感を感じ目を覚ますと、見慣れぬ天井が視界に入る。それは焦茶に金の模様が描かれた洋洒な造りで、あきらかに安積の家のものとは異なっていた。
部屋の隅からベッドに向かって間接昭明が灯されており、ソファやテーブルといった調度品の類がベッドの近くに置かれていることは分かるが、全体的に室内が薄暗く、内部の詳細を把握することは難しい。
ベッドの正面には、木製の重厚そうな扉があるだけで、他に扉や窓らしきものも見受けられない。目測で確認できる室内の広さは二十畳程だろうか。ホテルのスィートルームのような雰囲気があった。
安積は、自分の額がひどく汗ばんでいるのに気づいた。拭おうと腕を持ちあげたが、ガチッという固い金属音と共にその動きが遮られる。視線を向けると、動かせない右手首には手錠が嵌められており、その先はヘッドボードに埋込まれたリングに固定されていた。
「…手錠?」
何故こんなモノで右手を拘束されているんだ? 安積は疑問に思いながら、空いている左手で外そうとするも、黒光りする金属の轡は頑丈で外す事も出来そうにない。
初めは本物を模したレプリカかと思ったが、その質感や構造は本物と同じくアルミニウムの合金製であった。
安積は手錠を外すのを諦め、気を取り直して自分の肢体を検分するように見ると、羽根布団は掛けられているものの、自分が全裸であることに気づき驚く。裸にされて手錠で拘束されるなんて、冗談にしても質ちが悪すぎる。
――自分は帰宅して、自宅のベッドで眠ったのではなかったのか?
この不可解な出来事に考えを巡らせようと意識を集中しても、身体の内部からもたらされるジンジンとした疼きで、安積は思考を集中する事が出来ずにいた。
声を張りあげ助けを呼ぼうにも、喉はカラカラに渇き声を出すことは容易ではなかったし、身体全体を覆う倦怠感で手足を動かすのも億劫で、腰から下は鉛のように重かった。
夢だと信じたいが、夢にしてはリアル過ぎるその感覚に安積は戸惑う。
―― 一体自分の身に何が起こったんだ?
我が身に危険を感じた安積は、今一度、周りの状況を確かめようと、身体に鞭を打って身を起こす。刑事として育まれた洞察力によるものだろうか。先程は気付かなかったが、部屋の出口には見張り役らしい若い男が立っていた。
男は、安積が目覚めた事に気付くと、携帯電話でボソボソと何かを話しながら部屋を出て行くのが見えた。
混沌とする意識の中で、何があったのか思い返そうとしても、一向に思い出せない自分に苛立ちを覚える。
裸で拘束されていては逃げることも不可能で、部屋を見渡した限りでは、これといって手掛かりになりそうなものは何も無い。どうしたものかと思案していると、廊下からコツコツと足音が近づいてくるのが聞こえてきた。足音は部屋の前で立ち止まると、ギィと音を立てながら扉が開き、一人の男が入ってきた。
「目覚めたか? 安積サン」
首を持ち上げて声のする方向に視線を移すと、安積が良く知る男が立っていた。
「は…やみ」
速水と名前を呼ばれた男は、大きなストロークでゆっくりベッドサイドに歩み寄ると、側にあったスツールに腰かける。
「まあ…気分は最悪だろうな」
安積の顔をまじまじと見詰めながら男は言う。
「ああ…最悪だ。速水、悪い冗談は止してくれ。警察官が同僚を手錠で拘束するなんて、ふざけるにしても度が過ぎる。早くこれを外してくれ」
手錠を顎で示しながら訴えると、男は物珍しいものを見るかのように安積を凝視する。
「誰がポリ公だって?」
「誰って、お前と俺に決まっているじゃないか!」
安積は返答の意図が理解できず、少し苛立ちながら嗜めるように答えた。
「おいおい安積サン、あんたこそ悪い冗談はよしてくれ。折檻されて、意識だけが飛っとんだだけじゃなく、頭のネジもイカれたんじゃないのか?」
男は顎をしゃくりながら、愉快そうに笑った。
先程から感じていた違和感。
どういう訳か、速水が安積の名前を『サン』付けで呼ぶのだ。少なくとも安積が良く知る速水は、『ハンチョウ』と親しみを込めて呼んでいた筈だ。
(「ラプソディ」…抜粋)
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