【年の終りの初衣】 … 速水×安積 作:和泉 2009/01/18
冬は日が射している時間が、非常に短く感じる。
子供を帰宅させるためのメロディが流れていないのに、既に辺りは薄暗く、周囲の商業施設や街頭がなければ、心許ないほどだ。
しかし、だからと言って、この辺一体が完全な闇に包まれることはない。
特に今夜は、人工的な光だけではなく、どこからともなく集まってきた若者たちが溢れかえるのだ。常にこの時期の警察は厳戒態勢を強いられる。
手の空いていそうな、年若い警察官は『経験だ』とばかりに駆り出されるのが恒例だった。
そう、まだ警察学校を出たばかりの、体力には自信のある若い警察官が。
「意外に似合ってるじゃないか、ハンチョウ?」
「どこがだ……ッ!」
どうすれば、そんなに常に人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべることが出来るんだ。と怒鳴りつけたくなる感情を堪え、安積は隣で口許を緩ませている男を小さく睨み付ける。
この行為など男には何の効力もないことを知っていても、安積はそうしなければ気が収まらなかった。
何故なら……。
カシャッ。
「ッ!? ……須田」
「あッ、すみません、チョウさん!」
突然聞こえてきたシャッター音に、安積は瞬時に反応を見せた。
視線の先で、須田が携帯のカメラレンズを向けているのが映る。
意識はしていなかったが、若干安積の声音に怒気が含まれていたのだろう。須田は素早く手にしていた携帯を背後に隠し、謝罪を口にする。普段はどことなく、鈍い身動きの須田があまりにも鮮やかな反射神経を披露したことで、安積の沸き立つ憤怒は脱力感へと取って代わった。
「須田。正月も仕事がしたいか?」
「えッ……、えっと〜……」
「そのデータは消すな?」
殆ど脅迫めいた、地を這うような安積の声音が響く。巡査時代からの付き合いである須田も、この声音には一瞬、身震いを起こす。
だが、彼の口から承諾の言葉が出る前に再び、シャッター音が鳴る。
「……黒木」
「自分、正月は当直ですから」
「…………」
だがら、携帯で写真を撮ってもいいと言うことになるのか?
安積は思わず、黒木の発言に頭を抱える。
傍らに立つ男が、笑みを深めたのが、雰囲気で感じ取れる。
苛立たしげに睨みつけようと速水に視線を向けた瞬間、再びシャッター音が安積の鼓膜に届く。
「ッ……、む……ら雨?」
先刻、二度耳にしたシャッター音とはあきらかに異なる控えめなその音に、安積は咄嗟に反応することが出来なかった。
視線の先で相も変わらず頬を歪ませ、意味深な眼差しを向ける男に、嫌なものを感じ安積が周囲を見回すと、意外な伏兵がそこに潜んでいた。
「あッ! 村チョウ、デジカメ持参してたの?」
「刑事として、いつ事件が起きても、瞬時に状況を押さえておけるよう、準備を怠らないようにしてるんだ」
「…………」
やはり、お前は刑事らしい刑事だ。と褒めるべきなのだろうか。
子供の成長を記録するために購入したと言っていたデジタルカメラを手に、尤もらしいことを口にする村雨に対し、安積は本格的に頭を抱える。
「いいな〜、村チョウ。やっぱり携帯だと画素数が良くないんたよね」
画像チェックをする村雨の脇から、小さな液晶画面を覗き込む須田が、羨ましそうな声を上げた。その横で何故か黒木も大きく頷いている。
これは一体どういう状況なんだろう。
安積は自分の置かれている現状が理解できず、茫然と騒がしい自分の部下に視線を向ける。
「データいるか?」
「ッ! 欲しいッ」
「村チョウ、自分も欲しいです」
「判った。桜井はどうする?」
「勿論、欲しいですッ。お願いします」
東京湾臨海署の強行犯係の面々が集まって何をやっているのか。
普段通り落ち着いた口調の村雨を抜かした須田や桜井が、やけに鼻息荒く身を乗り出している。
一番不思議なのは黒木だ。淡々とした口振りではあるモノの、やはり彼も他の二人同様、熱い眼差しを村雨の持つデジタルカメラに向けていた。
通常の彼らを知っている分、安積には一種異様な光景に見える。
「やったー! チョウさんのこの格好は貴重だもん」
「本当ですよね。一生に一度のプレミアモノですよ! さすが村チョウ。準備がいい」
喜々とした声を上げる須田に、桜井が盛大な賛同を見せる。黒木も声音を発しないものの、大きく何度も頷き共感を表す。
横では桜井の賛辞に照れたのか、村雨が眉間にシワを深く刻みつつ、手にしたデジタルカメラを操作していた。
彼らの興奮とも言える盛り上がりを理解できない安積は、ただその集団を凝視する。
だが、そんな安積に対し傍らに立つ男は、実に楽しそうに口を開く。
「よかったじゃないか、好評だぞ。その格好」
「ッ!」
あきらかにからかいを含んだその声音に、安積は首の筋を痛めかねないほどの勢いで、傍らの男を再度睨み付ける。
しかし、速水は普段よりも、確実に機嫌良さげな風貌だ。
悔しいぐらいに飄々とした速水の様子に、一言言わなければ気が済まないとばかりに、安積が口を開こうとした瞬間、鼓膜に滑り込んできた須田の発言に、本気でその場にしゃがみ込んでしまった。
「ホント、交機隊の制服姿のチョウさんなんて、二度と見れないから激レアモノだよ」
普段は本人が意識的に感情の起伏を大きく見せているのであろう須田が、本気で興奮しているかのような声音を発している。
「…………」
そう、安積は現在、交機隊の小隊長である速水と同じ服装をしていた。
年末の一斉摘発に何故か強行犯係の係長である安積が駆り出されたのだ。最年少の桜井でなければ、黒木でもない、45歳の安積がだ。
こめかみをヒク付かせながら、安積は下から隣に並ぶ男を睨み上げる。
「いつも助っ人してやってるんだ。その借りは返してもらわないとな」
「だからって、なんで私が……ッ!」
他に桜井や黒木もいるだろうと、暗に匂わせる言動をする安積を、速水は軽く鼻で笑う。
「警部補の俺が助っ人した借りを返すなら当然、同じ階級のハンチョウの役目だろう?」
「ッ……、そうかもしれない。だが、この恰好は……ッ!」
「郷に入らずんば郷に従えってな。俺の仕事の助っ人だ。制服着用は当然だろう」
何が当然だ。自分が強行犯係の助っ人の時は、堂々と交機隊の制服で突き通すくせに。
一瞬で込み上げてきた言葉を、喉元でグッと抑え、安積は相手を睨むことで、感情的になりかけている自分を自制する。そうしなければ、部下たちの前で醜態を曝してしまいそうだから。
「しかし、体格の良いのが多い交機隊に、よく係長のサイズに合う制服がありましたね」
デジタルカメラを丁寧にしまい込み、顔を上げた村雨が、速水にそう尋ねる。
確かに交機隊の面々は速水を筆頭に日頃から躯を鍛えているため、かなり体格が良い。
細身に見える者でも、制服のサイズはLだ。その点、多少中年になり、肢体の至る部分が緩みだしたとは言え、安積の服のサイズはMだった。
交機隊の制服は通常L〜3Lが支流とされている。
安積も制服を渡されたときには、サイズの合わない無様な姿を曝すものだと思い込んでいた。
しかし、安積の予想に反し、制服のサイズはピッタリだ。
合わないことも嫌だが、これはこれで気持ちが悪い。
身に着けた制服を改めて確認するように触れる安積の姿に、速水の口角が吊り上がる。
「当然だろう? いつも言ってるが、交機隊は万能なんだ」
「……ッ……」
やはりお前の仕業か、速水。
不敵な笑みを浮かべる速水に、安積は息を飲む。
「それじゃ、準備も整ったことだし、行くか」
速水の背後で、彼の部下が今か今かと指示を待っているのが見える。
いまだ現状拒否状態の安積の二の腕を掴むと、速水は軽々と引き上げた。
「ちょ、ちょっと待て、速水ッ」
「なんだ?」
「どうして私がお前と行動するんだ!?」
傍目からはまるで強引さを感じさせない速水の行為だったため、一瞬抵抗を忘れ従いそうになるものの、寸前のところで安積はその場に留まる。
「なに言ってるんだ、ハンチョウ? 俺がアンタたちの助っ人に入るときは、当たり前のように俺はアンタと組んでる。なら、交機隊の助っ人のハンチョウが俺と組むのは当然のこと。なぁ、お前等もそう思うだろ?」
安積が反論を口にする前に、速水は後ろに控えている部下たちに声をかけた。
当然、彼らは崇拝する速水の言い分に異を唱えるはずもなく、無言のまま大きく頷くのみだ。
「さあ、もう時間がないんだ。ガキみたいにゴネてないで、行くぞ、ハンチョウ」
「だ、誰が子供だ……ッ、腕を引っ張るな」
「オイ、オマエ等。兎に角いつも通りやれ。面倒な奴は適当に理由付けて引っ張って来い」
一体、どんな命令だ。
いまだ困惑している安積の腕を掴んだまま、速水は実に彼らしい指示を出す。
傍目から見れば拉致のような状態で、安積を連れて立ち去る速水の後ろ姿を静観していた東京湾臨海署の強行犯係の面々は、まるで計ったかのように、同時にその口許から溜め息を吐く。
「結局、今回の年末一斉摘発の助っ人は、ただ単に速水さんが係長と一緒に年を越したかったからだけのように思えるのは、自分だけですか?」
珍しくも長い言葉を吐いた黒木の口調は、疑問系ではあるが、けしてそうでないことをその場に居る全員が気付いていた。
「何も言うな、黒木」
どこかやるせない風貌の須田が、溜め息混じりの声音とともに、黒木の肩を叩く。
「無事にチョウさんを返してくれれば、何も言わないよ、俺は」
いつもの仏像のような風貌で、須田は悟りきったように言う。
大晦日のこの日、強行犯係の面々は、ただ安積の安全を祈るばかりだ。
〜Fin〜
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