【子供の頃の常識は、大人になってもやはり常識】 … 速水×安積 作:和泉 2009/05/19
一般的に事件は昼夜問わず起きる。
そして、それは場所も指定することは出来ない。
「で、なんで新宿署管内で死体が見つかって、臨海署に捜査本部がたつんだ?」
一体、何が「で」なのか分からないが、その男は長机に頬杖を付き、真剣に報告に耳を傾けている臨海署強行犯係の面々の注目を引き付けた。
「……昨日、新宿署管轄内で発見された遺体から、お台場海浜公園の砂と、肺から検出された液体が、東京湾の水質と一致した。それは一昨日、メディアージュの駐車場で発見された被害者と、同じモノだ。ついでに言えば、彼らの手首は、同一メーカーの縄で縛られていた」
だから、既に捜査本部がたてられている臨海署で、新宿署との合同捜査が行われることになったのだ。と言外に含みつつ、安積は右隣の男を睨み付ける。
だが、当人はいつもの事とばかりに、悪びれる様子もなく、その口角を軽く吊り上げた。
「共通点はそれだけか?」
探ると言うよりも、からかうような相手の口調が、一々安積の勘に障る。
完全に判っていて、この男が問うて来ていることは明白だ。
この臨海署のシンボルであり、花形ハイウェイパトロール隊の小隊長にして、通称ベイエリア分署の地獄耳。速水直樹は。
「……両人とも、同じ趣向の持ち主だ」
きっと、今自分の額には、大きな青筋が浮かんでいるだろうと、安積は眉間を指で軽く揉みながら囁く。
現在、捜査会議の真っ最中である。私語はなるべく慎むべきだ。
醸し出す雰囲気で、これ以上余計なことを言うなと、速水に圧力をかける。
だが、悲しいことに、安積の威圧感に平伏す速水ではない。
先刻よりも一層、口許を歪めると、言葉遊びのように口を開く。
「同じ趣向ね。随分綺麗な言い方だな、ハンチョウ? 素直に同じ『ハッテン場』を利用していた。って言えばいいだろう?」
「…………」
「ガイシャ同士は顔見知りだった可能性が高い。そうだよな、ハンチョウ?」
わざとらしい速水の口調が、安積の神経を逆撫でする。
判っているなら一々聞くな。と眼光だけで訴えるが、相手にはどこ吹く風とばかりに、効果は皆無だ。
「しかし、ネットが普及して、わざわざ二丁目に行かなくても、いくらでも出会いのチャンスはあるだろうに」
呆れているのか、楽しんでいるのか。どちらにしても、不謹慎な感情まる出しの速水の声音が、やけに大きく安積の鼓膜に突き刺さる。
「でも速水さん、何も出会いを求めて『ハッテン場』に行く訳じゃありませんよ、彼らは」
「カップルでもって行くって言いたいんだろう、須田は?」
一体いつから聞いていたのか。二人の後ろの席を陣取っていた須田が、多少窮屈そうな動きで、躯を前のめりにさせ、秘密を共有する子供のような雰囲気で声を潜める。
しかし、そんな須田の言葉をあっさりと受け流すと、速水は若干上体を後ろに倒し、須田とその隣に座る黒木にも聞こえるように言葉を続けた。
「だが、一人で来る奴も少なくはない。奴らの目的は、自分の好みの相手と『犯る』ことだ。それに例えカップルで行っても、その気になれば、隣の奴とだって『犯る』さ。要は本人同士、交渉次第だ」
これが警察官の笑みかと疑いたくなるような、人の悪い微笑を浮かべる速水に、須田だけではなく黒木までもが言葉を失い愕然とする。
その一方で、安積は片手で頭を抱え、今にも机に突っ伏しそうになっていた。
「や、やけに詳しいですね、速水さん……」
一瞬、感嘆ともとれる須田の声色に、一層速水の口角が吊り上がる。
「昔、ハンチョウと行った」
「ッ!?」
「ご、誤解を招くような言い方をするなッ」
念頭にあった『捜査会議中』と言うことも吹き飛び、安積は怒声を上げる。
「誤解も何も、俺がお前と二人で『ハッテン場』に行ったのは事実だろ?」
「説明を省くなッ! 潜入捜査の為に仕方無く……ッ」
「なのに、このハンチョウときたら、大立ち回りを披露して、『潜入』の意味が無くなっちまったんだぜ」
厭味な笑みを浮かべ、すり寄ってくる速水に反論できず、安積は奥歯を噛み締める。
自分が忘れたい過去、トップ5には確実に入る出来事だ。
何故今、こんな思いを強いられるのか。安積は苛立たしげに、小さく舌打ちをする。
今回の事件関係者の接点の一つとして上げられたその場所を聞いた瞬間、安積は心から、速水がこの捜査の助っ人に駆り出されないことを願った。
しかし、その祈りは誰にも聞き入れては貰えなかったようだ。
安積たち強行犯係が、捜査本部が設置された会議室に現れたときには、既に当然の顔でこの男は座っていた。
今、素直な感情を吐露する事が出来るなら、遠慮なくこの男への暴言を吐くだろう。
それは見事な放送禁止用語のオンパレードで。
「そ……、そんなことがあったんですか……?」
驚愕に顔の筋肉をひきつらせながらも、何故か須田は話を促すかのような受け応えをする。
安積としては、一分でも早く、この話題を切り上げたい処なのだが。
「ああ、お前等にも見せたかったぜ。パンツ一枚で、大暴れするハンチョウの若かりし頃の姿を」
俺は今でも鮮明に瞼の裏に焼き付いているぞ。と、悪人も真っ青な微笑を浮かべて言う速水に、今度こそ須田が絶句する。
安積にしてみれば、今すぐにでもその瞼を切り刻んでやりたいと言うのが本心だ。
しかし、勿論実行には移せない。何故なら、自分は速水と違い良識ある警察官と言う誇りがあるからだ。
ここは一先ず、グッと感情を押し殺し、黙ることが有効な手段だとばかりに、安積は眉間に深々と皺を寄せつつ口を閉ざす。
「今と大違いで、筋肉がちゃんと付いてて、いい躯してたからな」
「ッ! 大違いとはなんだッ。まるで今がだらしないとでも言いたげに……ッ!」
「おい、おい、ハンチョウ? お前さんまさか、現在の自分の躯を『いい肉体』とでも言う気か?」
「う……ッ」
「少なくとも、『いい躯』って言うのは、俺のを言うんだぜ。お前も知ってるだろう?」
「…………」
「沈黙は肯定と取るぞ?」
憎らしいほどに余裕と自信に満ちた笑みを向けられても、反論一つする事が出来ない。
ただ、悔し紛れに睨み付けるのが関の山だった。
「……貴方がたが、とてもふしだらな関係だと言うことは、よ〜く判った」
「ッ!?」
「おお、相楽」
地表を抉るかのような低い声音に、一瞬誰か判別する事が出来なかった。
正面ではなく斜めに向き始めていた安積の上半身が咄嗟に、元に戻る。
いつの間にか、安積の席の前まで来ていた、警視庁の相楽が仁王立ちで、二人を見下ろしていた。その額には、二つ以上の青筋を浮かべて。
「貴方たちのような、いかがわしさ満点の人間が、私と同じ刑事かと思うと、恥ずかしくなるッ」
「ちょっと待て。いかがわしいのはコイツだけだッ」
「いや、それ以前に俺は刑事じゃないけど?」
「お前は黙ってろ。喋る猥褻物。今すぐ取り押さえて、留置所に放り込むぞ」
「それは酷いんじゃないか? 第一、俺とお前の関係で、それを言うか?」
「どんな関係だッ!」
「痴話喧嘩は他所でやってくださいッ!」
「痴話喧嘩じゃない!」
「そうだぞ、相楽。これが俺たちの日常会話だ」
「速水! 頼むから、十分間息を止めててくれ!」
「十分も息を止めてたら、流石の俺でも死ぬぞ。俺が死んだら、お前の夜の面倒は誰が見るんだ、ハンチョウ?」
「ッ!? だから、誤解を招くような言い回しをするな! 夕飯ぐらい、一人でどうにでもなる!」
「どうせ、酒しか呑まねーェくせに」
「五月蝿い」
「貴方たちの日常会話は卑猥すぎるんですよッ! 今は大事な捜査会議中です! 私語を慎んでください!」
人間とは恐ろしいもので、頭に血が集中すると、自然と周りが見えなくなり、声が大きくなっていくようだ。
気づけば周囲の捜査員の視線を一身に受けている。
しかも、速水が茶々を入れることで、まるで収拾の目処が立たない。
日頃より、安積を目の敵にしている相楽の攻撃は、この時とばかりに厳しく、普段以上に感情的だ。
「安積さん! 貴方が速水さんを誑かしたんでしょう!」
「たッ!?」
「元々は本庁の人間であるはずの速水さんが、事あるごとに、この臨海署の肩を持つのは、貴方が裏でこの人を誘惑しているからだッ!」
「侮辱するのも大概にして欲しいッ! 何故、私が速水を……ッ!」
「いいなあ、それ。一度でいいから、ハンチョウに色っぽく誘惑されてみたいなぁ」
「だから、お前は三十分間息を止めてろ!」
「おい、さっきより二十分も増えたぞ。遠回しどころか、完全に死ねって言ってるだろう?」
一人、常識人面で呆れたように安積を見る速水に対し、感情に突き動かされるがまま、犯人と対峙するとき同様、鋭く睨みつける。
「やっぱりそうだったんですね、安積さん!? 速水さんは、我々本庁のモノです! 卑猥な勧誘は止めていただきたい」
「いかがわしいのも、卑猥なのも速水だけだ! 返すも何も、私は貰った覚えはない。いつでも持って帰れればいいだろう!」
「俺はモノか?」
「速水、一時間息を止めてろ!」
「だから、また延びてるって」
いつの間にか、第三者然と頬杖を付き、安積と相楽の口論を見物する速水に、苛立ちが募る。
一発ぐらい殴っても許されるのではないかと言う、悪の誘惑に駆られても、おそらく今なら誰も安積を責めないだろう。
悪魔の囁きに、思わず安積の右拳に力が籠った瞬間、柔らかな声音がこの無意味な口論の終止符を打つ。
「うん、まあ、とにかく、一度三人まとめて退出してくれるかな。捜査会議の邪魔だから」
怒気を含むことない穏やかな声音で、今回の捜査本部副本部長の野村臨海署署長が、安積、速水、相楽の三人に目線を向け微笑を浮かべた。
「「「……………」」」
正直かなり怖い。
これは珍しいことに、安積や相楽だけではなく、速水も受けた感覚だ。
一気に静まり返る会議室。
誰もが野村の底知れない恐ろしさに、息を飲み、全身を強張らせている。
こんな状況で本当に、今回の事件は解決するのだろうか。
誰もが一抹の不安を抱える中、更に野村の温和な微笑が室内の温度を下げる。
「……胃が痛い……」
安積・速水の後ろの席、須田・黒木の更に後方に座っていた村雨が、人知れず己の腹部を抑え、泣きの一言を零したのは言うまでもない。
〜Fin〜
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